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酒井 法子(さかい のりこ、本名高相(たかそう)法子(旧姓酒井)、1971年2月14日 - )は、日本の元アイドル歌手、女優。 福岡県福岡市出身。出生は埼玉県。サンミュージックプロダクション所属。堀越高校卒業。血液型はB型 福岡市に生まれるが、家庭の事情により小学校時代の6年間を埼玉県狭山市で過ごす。6年生の3学期に帰郷して福岡市立大名小学校を卒業、タモリの後輩であることは知られている。福岡市立舞鶴中学校ではソフトボール部に所属し、3年生になった1985年の夏に県大会準優勝を果たした。 1985年10月26日の「'86ミスヘアコロンイメージガールコンテスト」でBOMB!賞を獲得(ちなみにグランプリは水谷麻里、準グランプリは岡谷章子、Momoco賞は畠田理恵が受賞)。ただし、当初このコンテストにBOMB!賞なる賞は存在しておらず、現実にはオーディション落選後に主催者側の人間からスカウトされて芸能界入り。BOMB!賞はその際に急遽新設され、11月22日付で贈られている。 実は脱いでた!豊満なバストと淫猥な痴毛 1986年開始のドラマ『春風一番!』でデビュー。ほぼ同時に雑誌『Momoco』の「モモコクラブ」にも名を連ねる。桃組出席番号1482番。その後、4月29日のイベント「'86 MOMOCO PARTY」において開催された「第2回ミスモモコクラブ」オーディションでミスVHD賞を受賞(この時のグランプリは畠田理恵)。これにより当時売り出し中だったVHDのイメージガール的な位置を獲得し、11月21日、VHD『YUPPIE』で世界初のVHDデビューを果たす。このVHDの挿入歌『お願いダーリン』を非公式のデビュー曲とする見方もあるが、正式なレコードデビューは1987年になってから。同期にBaBe、坂本冬美らがいる。 レコードデビューと同時に若者を中心に人気を獲得、その年の日本歌謡大賞最優秀放送音楽新人賞を受賞する(ちなみに同じ年の日本レコード大賞の最優秀新人賞は立花理佐が受賞)。 ニックネームはのりピー。デビュー当時「のりピー語」と呼ばれる言葉を使い、「ヤッピー」「いただきマンモス」「うれピー」などといったフレーズを流行させた。後年、本人がTV番組で語ったところによると「のりピー語は事務所から無理矢理言わされていたもので嫌だった」とのこと。 アイドル時代の活躍は多岐に渡る。芸能活動のほかにイラストレーター・漫画家(ペンネームは平仮名のさかいのりこ)としても活動し、少女漫画雑誌『週刊少女コミック』に漫画の連載を持ったこともある。中学生の頃に自ら生み出したというキャラクター「のりピーちゃん」は、日本自動車工業会の交通安全ポスターにも使われた。また、そのキャラクターグッズも自身のショップ「NORI-P HOUSE」で販売されて人気を博し、当時のタレントショップブームの一翼を担っていた。 1990年代以降、東アジア(台湾、香港、中華人民共和国など)では日本での活躍と比較しても異様と思えるほどの人気があり、中国語の楽曲も多く発表している。1992年5月10日と翌5月11日に行われた自身初の海外公演である台北市立総合体育場でのコンサートは、台湾における日本人初のワンマンショーとなった。 その頃から女優としても本格的な活動が始まり、『ひとつ屋根の下』『星の金貨』などの出演テレビドラマが大ヒットする一方、『星の金貨』の主題歌として自ら歌った『碧いうさぎ』がミリオンセラーとなり、デビュー9年目にして1995年の第46回紅白歌合戦へ念願の初出場を果たした。アイドル時代のファンからは、続編主題歌の『鏡のドレス』と共に、“従来に比べて落ち着き過ぎ”の評もある。 1990年代半ば以降、趣味としてマリンスポーツを楽しむようになり、親友の工藤静香らと共にサーファーとして知られるようになった。1998年できちゃった結婚した夫・高相祐一もプロサーファーである。1999年7月18日、長男を出産。現在は1児の母。 2000年に産休から復帰した。 その後、子育てと女優活動を両立しながら2003年にはファッションブランド「PP rikorino」を立ち上げるなど、現在もマルチに活動している。 西村知美は、高校の同級生であり、実家も関門海峡を隔てた隣県である。 ≪当時、レイプ疑惑で社会問題となった放送事故映像≫ |
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